今回は建築家・中村好文さんに、納める品々を見て頂く為です。 同行したメンバーは、二男万平と、種岡千代美さん、そして私。
種岡さんは、ある方の推薦で手伝っていただくことになりました。本当にいい方に巡り逢えたと思っております。明るく元気で、気配りもさり気なくなさる。なにより、やる気があり、労を惜しまずという私の大好きなタイプの方です!
そして、テレビマンユニオンの名コンビ! 浦谷プロデューサーとカメラマンの佐藤利明さん。
相憎くの雨です。屋根にあたる音が激しい。 私は「お葬式」のある場面を思い出していました。 どしゃ振りの雨の中をお棺が階段を上がっていくところです。その時の現場の様子・・・・22年前。
確認作業は1階の書斎から・・・・。 といいましても、本当は後から増築したのです。 私の父母が一緒に住む事になり、ピロティ部分だった所を、ぐるりと板で囲み、父母の部屋と書斎にしたのです。
伊丹が書斎で原稿を書いていたのは何ヶ月かの間ぐらい。書斎の皮椅子も無駄でした。テレビの音があっても、子供らの泣く声がしても、平気な人でした。ベッドで寝転ろがって書く。日本間に寝そべって書く。よく寝て書く人・・・!
結婚して、私、暫くたって思ったのです。私の発見!(笑) 伊丹万作は病床で書いていた。 結核といえども、病状や調子のいい時は、父親の枕元で寝そべって、遊んだり、絵を書いたり、本を読んでいたはずです。だから、それが習慣になってしまった! 「1階の照明が足りないなぁ〜」 佐藤カメラマンが呟きました。 「懐中電灯とってきて、万平」 その懐中電灯で暫くは作業していましたが、ラチがあかない! 「何故、早く気がつかなかったんだろう」笑いながら万平が持ってきたのは、手元のスタンド電灯でした。皆で一寸笑う(笑) 何十年間そのままになっている1階の本箱には、原稿があります。 「中村さん、コレハもう本人が放ってあったので、捨ててしまうつもりですけど・・・・」私が云いますと、 「デモ、一寸見せて下さい。いいですか?」 中村さんは埃まみれの原稿用紙を大切に受けとります。 「あぁ〜〜いいなぁ──。いいなぁ〜〜これ、自筆ですよ!・・・駄目ですよ。 これは一度キチンと整理しましょう・・・・万平クン、紙袋を〜〜」 「あっ〜〜ここにもありますよ。・・・・いいねぇ〜〜いいなぁ〜〜。万平クン、これも、紙袋ね!」
合計7つの紙袋。そして大きなクリアケース1箱。 中村さんは実に・・・実に嬉しそうでした(笑) そして、一言、しみじみと仰ったのです。
「伊丹さんは・・・・・書く人だったんだね・・・・・」
宮本信子